大和桜

コラム

酒に訊け。

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父の時代、息子の時代。

 昼食の後、天文館のあたりをぶらぶらして部屋に戻ると、テッカンからメールが届いていた。夕方、『ごん兵衛』で飲む約束をしているのに、よほど急ぎの用に違いない。大和桜デザインの件と表題にある。大和桜のラベルをデザインした大高重治は、ブラック・ニッカのラベルをデザインした人物でもあるという確証が得られないのだと、ひと月前にテッカンにメールを送ってあった。どうやらその答えらしい。テッカンは大高重治のご子息に連絡を取ってくれたようで、その返事がさっき届いたのだという。転送されたメールを読む。ブラックニッカのラベルをデザインしたのは、まぎれもなく大高重治だった。ご子息は、あのラベルに描かれた髭の男、キング・オブ・ブレンダーのポーズ研究のため、中学生か高校生の頃に、ウイスキーグラスと麦の穂を持たされ、父のデッサンのモデルを務めたのだそうだ。あのモザイク画のような絵は、水張りした板に卵の殻を砕いたものを貼り付け、ひとつひとつ丹念に色付けをしたもの、その作業の様子を記憶しているとも書かれていた。さらに画像が添付されてあって、そこには面相筆でブラックニッカのロゴを描く大高重治の姿が写されていた。55歳の頃とあるから1963年前後のことだ。ちなみに髭の男がラベルに描かれたブラック・ニッカの発売は1965年である(それ以前にニッカウヰスキーの西宮工場落成を記念して作られたブラック・ニッカがあるようで、そのラベルに登場する髭の男は、もしかしたら奥山儀八郎の描いたものなのかもしれない。ご子息もそのことに触れられていた)。
 東京に戻ってから、近所の酒屋でブラック・ニッカを探した。数種類並べられたそれは、どれも透明のボトルに入っていて、髭の男の絵が紋章のように小さく使われている。自分の父親が飲んでいた、黒の四角い瓶とラベル全体の四分の三ほどの大きさで描かれた髭の男のあのブラックニッカと、見た目はまるで別物だった。記憶の中のブラック・ニッカに少しだけ似ている、「誕生40周年記念限定製造 ブラック・ニッカ12年」というのを包んでもらう。家で酒を飲むことを絶対にしないと決めているのに、どうして買ったのかはよくわからない。
 大高重治は自宅を仕事場にしていたそうだ。だからご子息は、日々、父親が仕事をする姿を目にし、長じてからは下準備をときどき手伝わされていたという。羨ましいと思った。メールが届いた夜、テッカンは「ごん兵衛」で焼酎を飲みながら、父親の仕事に対する姿勢について、時には批判的に、時には自慢気に語っていた。家業を継いでいる彼もまた、父親が仕事する姿を見ながら育ったのだと思う。羨ましかった。自分はどうか。外でピアノを弾く姿は知っていても、それは父の本業ではなかったし、そもそも家にはピアノがなかった。家で過ごす父の姿で印象に残っているのは、深夜にブラック・ニッカを静かに飲むときの背中だ。自分は父から何を受け継いでいるのだろう。

(2009年9月13日)

岡本 仁

岡本 仁

オカモトヒトシ/編集者。1954年、北海道生まれ。マガジンハウスにて『ブルータス』『リラックス』『クウネル』などの雑誌編集に携わった後、2009年にランドスケーププロダクツへ。雑誌『暮しの手帖』や『& Premium』にてエッセイ連載中。

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