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読点のない飲み方。
久しぶりに必要があって吉田健一のエッセイを読んでいるのだが、あの独特のうねうねと揺蕩いながらなかなか着地しない文章の、最初のとっつき悪さを思い出した。もちろんたいへんな名文であるし、内容もいつも素晴らしいと思うのだが、とにかくその語り口に慣れるまでは、日頃よく読むものとの大きな差異に戸惑う。端的に言うと、吉田健一の文章は(すべてではないが)極端に読点が少なく、ワンフレーズの息がおそろしく長い。
ここから吉田健一を真似て読点なしで書いてみると自分が思うに其れは日本酒を飲んでいる時の然もかなり酩酊している時の気分に近いかもしれず例えば初期の村上春樹の一直線な短いフレーズの積み重ねとは好対照であって其れが吉田健一の老獪さからなのかあるいは彼の時代の文学者に特有な言い回しなのかは浅学ゆえにわからない。
文章力がないので、ただ読点を外してあるだけで、内容もゆらゆらと揺れ動くような印象にはできないけれど、とにかくこんな感じだ。酒に例えるならば、吉田健一は明らかに日本酒で、それも決して冷酒ではない。ついでに言うと村上春樹は缶ビール。というか酒を飲んでもずうっとしっかりしていて、酔っているところを見たことがない人物という印象がある。実際どうかは知らないが。
飲む酒の種類によって酔い方に違いがあるというのはぼくの実感だけれど、他の人はどうなのだろうか。日本酒はとにかく下半身から酔う。頭はきちんと普通に回転しているが、いつのまにか酔いが足先からだんだん上に登ってきて、頭が「オレは酔っている」と自覚する直前にいきなり呂律がまわらなくなると言えばいいかもしれない。呂律がまわらなくなるまで飲まなかった場合でも、明晰な頭で会計を済ませて立ち上がると、自分がずいぶんと酔っていることが足元の覚束なさでようやくわかる。これと正反対だなと思うのは焼酎の、特にお湯割りだ。こちらは飲んだ途端に頭にアルコールが充満する感じがする。黙って飲むのが好きなぼくでさえ、上機嫌になってぺらぺらと喋り出す。日本酒よりも自分の酔いを自覚するまでの時間が短いので、あまり飲み過ぎない。
吉田健一と村上春樹が飲みそうな酒で二者に共通するのは、おそらくウィスキーではないだろうか。今度、それぞれがウィスキーについて書いた文章を探して、比較してみたいと思う。
(2018年6月30日)
次回「酒に訊け。」