大和桜

コラム

酒に訊け。

015

食後酒の愉しみ。

 食後酒に分類されている酒を、ちゃんと食後酒として飲んだのはグラッパが最初だったと思う。食事とそれに続くデザートの余韻がまだ生々しく残っていて、当然ながら苦しいほどに満腹だった。だから早く会計を済ませ、店を出たくて仕方がなかったのが、この素晴らしいレストランを紹介してくれた同行者が「いいものが揃っているから、グラッパも飲んでいきましょう」と言う。従うしかなかった。
 そのグラッパが何という銘柄だったかは記憶していない。小さなグラスに注がれたグラッパの放つ芳香は鮮烈で、鼻を近づけると半分閉じかけた目がパキっと開いた。一口含みゆっくりと飲み込む。いま食道のどのあたりをグラッパが流れ落ちているのかがわかり、胃に届いた途端に膨満感がすうっと消えた。ぼくははじめて食後酒の美味しさと、その確かな効用を知ったのだ。
 食後酒まできちんと揃えてあるようなレストランに行かなくなって久しい。食後にバーに流れて食後酒を飲むというのは気分的に違うような気がするし、そもそも席を立ってしまえば面倒になってしまい、とっとと家路につくことになる。だからいまは食後酒を飲む機会がまるでない。ただ、赤坂にあるフランス南西部の料理を得意とする小さなレストランだけは別だ。
 アルマニャックは白葡萄から造られる蒸留酒で、フランス南西部のアルマニャック地方で造られたものだけがこの名前で呼ばれる。赤坂の店も年代物をいろいろ揃えているので、食事が終わると、1杯だけ飲んでいく。ときどき、飲み比べたくなってお代わりをすることもあるが、アルコール度数は40度を超えているので、ほどほどにしなくてはならない。
 アルマニャックをはじめて飲んだ場所は、フランス南西部最大の都市トゥールーズにあるレストランだ。コニャックは知っていたけれど、耳慣れないアルマニャックという言葉が理解できなくて、これは何かと尋ねたら、注文と間違えられてしまった。コニャックを飲んだ経験すら満足にないのに、どういうわけかこの食後酒を気に入ってしまったぼくは、翌日にホテルの近くの酒屋でアルマニャックを買うことにした。日本に戻ってから友人が営む店に置いてもらい、食後にちびちびと飲んだ。1年近くは保ったろうか。
 赤坂のレストランにはじめて来た日、カウンターの上に並べられたアルマニャックにすぐ目が留まった。アルマニャックがあることが嬉しくて、ついこの話を披露したら、南西部で修行を積んだというシェフは相好を崩した。たまにしか行かないこちらの顔と名前を、きちんといまでも憶えていてくれるのは、アルマニャックのおかげなのだ。だからどんなにワインで酔っていようが、ここでは必ず食後酒までいただくことにしている。
(2018年11月16日)

岡本 仁

岡本 仁

オカモトヒトシ/編集者。1954年、北海道生まれ。マガジンハウスにて『ブルータス』『リラックス』『クウネル』などの雑誌編集に携わった後、2009年にランドスケーププロダクツへ。雑誌『暮しの手帖』や『& Premium』にてエッセイ連載中。

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