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ハブ酒の味。
ずいぶん昔、ぼくがまだツイッターをやっていた頃に、中原慎一郎くんが「306の台所にハブ酒をたくさん置いていったのは誰だ?」と呟いたことがあった。その犯人はぼくだった。ちなみに「306」というのは、その頃、中原くんの会社(いまはぼくも所属する会社)が鹿児島に借りていた部屋で、鹿児島にやってくる来客も泊まれるようになっていたから、ぼくもたびたびお世話になっていた。
そのハブ酒は〈ごん兵衛〉の久保さんがくれたものだ。『ぼくの鹿児島案内』という本を出版してからは、お店に行く度に、帰りにハブ酒とねじめびわ茶を渡されるようになった。「前回もいただいたので大丈夫です」と遠慮しても、まったく聞き入れてくれず、「身体にいいから」と白いビニール袋を持たされる。ときどきガランツまで入っていることもあった。一度だけ袋に「山本様」と書かれていたことがあって、久保さんがそう思うなら、ぼくは岡本でなくて山本でいいやと笑ってしまった。
身体にいいと言われてびわ茶はよく飲むようになったものの、ハブ酒には手をつけなかった。東京に持ち帰るのも大変だし、どうしようもなくなって「306」の台所に置いていったというのが事の真相である。
最初に鹿児島に来て、中原くんと〈ごん兵衛〉で焼酎を飲んだのは10年ほど前だったろうか。久保さんのお姉さんがまだお店に立っておられた頃だ。その時に生まれてはじめて、焼酎のお湯割りを飲んだ。それまで、ぼくにとって焼酎というのは、癖のある芋焼酎を、それもとてもレアな銘柄のものを、粋がってロックで飲むための酒だった。そのつもりで焼酎を頼んだのに、有無を言わさずお湯割りをコップに注がれた。しかもそれが前割りというものであることを後で知り、その酒が生まれた土地ではどういう飲み方がいちばん好まれるかなどと考えたこともなかったから、とても驚いたが納得できたし、そもそも旨かった。
ぼくの還暦をすごい規模で鹿児島の友人たちが祝ってくれた時も、久保さんが貸し切った路面電車にサプライズで乗り込んできて、がっちりと握手した後に例の白い袋を渡された。中には「金一封」と書かれた祝儀袋とハブ酒が入っていた。しかもお祝いだからなのか2本も。
一度だけみんなでハブ酒を飲んでみたことがある。薬草の味がした。「ハブ酒はハーブ酒だ」と、その場にいたみんなで盛り上がったのだが、その報告を久保さんにした記憶はない。これからは鹿児島に行っても、もう二度と久保さんの「あんた、にがごい好きね?」という声は聞けないのだ。
(2108年7月29日)
次回「酒に訊け。」