酒と音楽。
ぼくの iPhone には音楽が1曲も入っていない。そう言うとたいがいの人は驚く。でも移動の時に音楽を聴くことはないから必要がないのだ。音楽が嫌いなわけではないけれど、四六時中浸っていたいというのでもない。基本は無音でいいと思っているので、それに耐えられなくて何か音楽をかけるという考えがないのである。
街には音楽があふれている。ファッションビルなどに入ると、各テナントがそれぞれ好みの音楽を流していて、それらが混じり合ったウワンウワンという音の反響は、もはやある種の暴力とさえ感じられる。だからBGMのない店に入るとホッとするのだ。たとえば蕎麦屋にモダンジャズは要らない。蕎麦をすする音や客同士の会話、注文を通す店員の声。その場に固有な環境音だけで楽しめる。それが酒場だとしても、ぼくは無音を好む。音楽イベントに酒が必要なことは理解できるが、酒を飲むことを目的にして来た場所には音楽がなくてもかまわない。
先日、友人夫妻が営むワインバーが、はじめての昼営業をするというので、昼食の後に立ち寄ることにした。ドアを開けるとすでに満席だ。仕方がないから冷蔵庫の前に陣取り、立ったまま赤ワインを飲む。のんびりやるつもりだった友人夫妻は、予想以上の数の客を前にして、かなりあたふたとしている様子だった。ところが店内に、彼らの余裕のない空気が染み渡るようなことはなかった。音楽がその場をコントロールしていたのだ。
DJは友人夫妻の友人で、まだ29歳だというが、彼の選ぶ音楽は円熟味を感じられるものばかり。昼下がりで、お菓子とお茶を楽しむ者もいれば、軽食をつつきながらワインを飲む者もいるという、なかなかひとつのトーンにまとめにくい場である。お茶とケーキの客は、夜の雰囲気では違和感を与えるだろうし、すでに軽く酔いがまわりはじめた客は、ちょっとした艶っぽさが欲しいだろう。若きDJは中南米の音楽を中心にした流麗な繋ぎでもって、落ち着きと余裕を友人の店に加えていた。ほとんどがぼくの知らない曲ばかり。次に何がかかるのだろうという興味から、なかなか席が立てない。とはいえ音楽が存在を強く主張するわけでもなく、あくまでワインの美味しさを引き立てるための脇役の座にとどまったまま。しかもボリュームはそれなりの大きさだ。見事としか言いようがなかった。
結局、かなりの時間をそこで過ごし、その間にDJにジャケットを見せてもらってタイトルとアーティスト名をメモし、実はその中からすでに2枚のレコードを手に入れてしまっている。
酒の場の音楽は余計なサービスだと考えていたけれど、あれほど気持ちよく飲めたのは、やっぱり音楽の力によるものだと、今回ばかりは認めないわけにいかない。
(2019年1月31日)