酒場の品書き。
飲食店でメニューを自分で決めようとしない人を見かけると、その度にとても不思議に思う。ぼくだったら、まずは自分の好物を探すだろう。もしくはその日の気分をさらに良くしてくれそうな料理はないかと、メニューと首っ引きになるはずだ。何かを軸にして小鉢をいくつか選んだり、それに合いそうな酒を想像するのは心が躍る。行きつけの店でも、組み合わせや順番を変えたり、メニューの名前は一緒でも旬のものが使われていることを発見したり、そういうちょっとした違いを愉しむのもいい。
もちろん「大将にお任せで」と言ったほうが、自分で決めるよりも旨いものにありつける店が存在するということは理解しているから、時と場合によるのだと言われれば「ごもっとも」と思うし、ぼく自身もお任せにすることはある。逆に、常に自分が選ぶことで食通ぶりをアピールしたいタイプの、嫌味な客に遭遇することもわりとある。もしぼくが他の客からそういう存在だと見られているのだとした、とても悲しい。ぼくはただ流れを組み立てるのが好きなだけで、そのいちばんの楽しみを、はなから放棄したくはないということなのだ。そう考えてみたら、鮨屋やコースメニューのみの店に行くことが少ないのは、自分の性格によるものなのかもしれないと、いま思い当たった。
よく行く酒亭はひとりで来る客が多い。無言で飲む人がほとんどで、各人がそれが心地よいと感じているから、他人の不快に自分がなっていないかどうかをちゃんと心得ているタイプの大人ばかりだ。たいがいの人は酒を飲み肴を口にする時以外は、斜め前方を見つめるともなくぼんやり眺めている。そこにあるのは品書きだ。ぼくもその店で、いつも品書きをアテにして飲んでいる。
いい品書きがある店はたいがいいい酒場だ。黒板メニューと言われるものにも味わいがあるけれど、短冊に手書き文字でバシッと1品だけ書いたものが壁に貼られているのが壮観でいい。字の上手い下手は関係ない。短冊それぞれの間隔や配置に、一枚にどれだけの情報を盛るかなどの細部に、店の個性や「粋」が表れるのだと、ぼくは信じている。つまり、ぼくが酒場でいちばん好きなものは「品書き」だということである。
(2019年4月26日)