大和桜

コラム

酒に訊け。

022

カレールーで飲む。

 新潟には素晴らしい大衆居酒屋の名店がたくさんあるけれど、中でもいちばんのお気に入りだった〈新小とり〉が数年前に閉店してしまったのは、いまでもとても残念に思う。

 寒い冬の夕方5時、開店と同時に店に入り、ちょっと遠慮がちにカウンター席に座る。毎日のように訪れる常連さんの邪魔にならぬよう、目立たないことを心がける。そして「鶴の友」のぬる燗を頼み、到着を待ちながら、品書きと睨めっこする時間が好きだった。

 ある時、お酒と同時に出されたお通しがカレールーだったことがあった。他に客はいないし、もしかしたら今日のまかないがカレーライスだったのかななどと思ったのだが、ルーを舐めながら飲むぬる燗が思いの外よかった。

 翌日、若い夫婦がやっている小料理屋に入ったら、メニューにカレーライスがあった。それでつい、昨日は生まれて初めてカレールーをアテにして飲んだと言ったら、どこの店かと訊かれた。〈新小とり〉の名前を出すと、噂には聞いているけれどやっぱりいい店なんだなあと、若い主人がしきりに感心している。そして「いやね、実は自分の店もカレールーで燗酒を飲んでもらいたくて、メニューにカレーを加えたんですが、注文した人が必ずライスはないのかと言うので、いちいち説明が面倒だからカレーライスにしたんですよ」とつけくわえながら笑った。カレールーと燗酒が、新潟の独特な飲み方なのかどうかはわからない。ただ、そういう経験はそれきりで、他でお目にかかったことはない。

 岡山に行くと必ず寄る店にしばらくぶりで行ったら、品書きに「〆のカレーライス」というのがあった。ちょうどぬる燗を頼んだところだったので、ルーだけもらうことはできるかどうかを尋ねる。大丈夫だと言う。それが運ばれてくるのを待ち、すぐにルーを舐めながらぬる燗を飲んだ。女将が「変わった飲み方ですね」と不思議がるので、新潟で覚えたのだと答えた。次にその店に行くと、女将がカレールーとぬる燗は合いますねと、試してみた感想を教えてくれた。どうやら他の常連さんにも薦めているらしい。

 つい先日、神田の居酒屋に行った。そこは芋焼酎と麦焼酎があって、芋は燗して出してくれる。それに白湯と呼ばれている小さなヤカンに入れたお湯を頼み、湯割りにして飲んだ。ふいに、目の前の品書きに「肉じゃがカレー風味」と書いてあることに気づいた。カレー粉で味をつけた肉じゃがだろうかと注文してみたら、肉じゃがにひき肉カレーをかけたものだった。期せずしてカレールーが手元に運ばれてきたのだ。じゃがいもの上にかけられたルーを舐めながら、焼酎の湯割りを飲んでみる。これもなかなかいけるものだなと、自分がだんだん笑い顔になっていくのがわかった。

(201981日)

岡本 仁

岡本 仁

オカモトヒトシ/編集者。1954年、北海道生まれ。マガジンハウスにて『ブルータス』『リラックス』『クウネル』などの雑誌編集に携わった後、2009年にランドスケーププロダクツへ。雑誌『暮しの手帖』や『& Premium』にてエッセイ連載中。

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