大和桜

コラム

酒に訊け。

024

読みながら飲む。

 店内に音楽が流れていなくて、店の主人も寡黙、つまりシーンと静まり返った酒亭に行く時に、本を持参するのはどうなのだろうかと、酒飲みの友人と話したことがある。静けさを全身で受け止めて何もせずに飲むのが筋で、本を読んで気を紛らわせるのは卑怯であるという、かなり極端な結論に至った。

 仕事を終えた人がひとりで夕刊紙を読みながら酒場でビールを飲んでいる光景を昔はよく見かけたし、いまならば手元でスマートフォンをいじる人がそれにあたるのだと思う。「手持ち無沙汰」という状態に耐えられないことのほうが普通であるらしい。誰かと飲みにいくことと、ひとりで飲みにいくこととは決定的に違うので、ひとりで飲む時の最大の楽しみは「手持ち無沙汰」ではないかと考えるようなぼくや友人は、酒量には関係なく、ある意味でハードコアな酒飲みなのかもしれない。

 バーを営んでいる無類の本好きな男に同じ質問をしてみたら、やっぱり「なし」という答えだった。ただ、その前提が「酒を飲むならば」ではなく「本を読むならば」だったのが面白かった。旨い酒を飲む時には旨い肴が欲しい。たとえば〆鯖を頼んだとしよう。そうすると小皿も出てきてそこに醤油を注ぐ。箸で〆鯖にワサビをつけて、醤油皿にちょいと浸し口に運ぶ。それには両手が必要となるので、本を持ったままではいられない。本を閉じる。一連の作業の後に〆鯖を食べる。少し酒を口に含む。再び本を手に取り、読んでいたページを探して開く。もし頼んだものが生魚ではなく焼き魚だったら、骨を外すためにやはり両手を使う。指先に脂がつくだろう。そのまま本を持っては汚れてしまうから、おしぼりで脂を拭い取る作業が加わる。そんな気の散る読書はまっぴら御免だねと言うのだ。

 じゃあ、酒を飲みながらの読書は、片手に持ったウィスキーなどをチビチビっていうのじゃないといけないということだね、なるほどと感心してみせたら、いや、串物なら大丈夫だとニヤリとする。焼鳥とビール。片手は文庫本で塞がっていても、空いたほうの手で串とグラスを交互で持てばいいのだから。そう言って、彼は古本屋とその向かいにある焼鳥屋をセットで教えてくれた。

 焼き魚はかなり難しいが、〆鯖だったら一連の作業を片手で出来ないことはないだろうと、それ以上、この話題を追求するのは諦めた。むしろ彼の流儀をリスペクトすべきだと思ったのだ。ちょうど文庫本も持っているし、早速、その店に行って試してみようかと歩き始めたものの、その日はおろし立てのセーターを着ていたので、やっぱり焼鳥屋はやめておいた。(20191030日)

岡本 仁

岡本 仁

オカモトヒトシ/編集者。1954年、北海道生まれ。マガジンハウスにて『ブルータス』『リラックス』『クウネル』などの雑誌編集に携わった後、2009年にランドスケーププロダクツへ。雑誌『暮しの手帖』や『& Premium』にてエッセイ連載中。

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