大和桜

コラム

酒に訊け。

005

柑橘の皮の苦さ。

味を言葉に置き換えるのは難しい。それはオマエのボキャブラリーが貧困なせいだと言われれば反論はできないけれど、言葉によってニュアンスは伝わるかもしれないが、誰の頭の中にも一言語一味覚対応で、同じ味が鮮やかに思い描けることはないはずだ。
 最近、ワインばかり飲んでいる。何が面白いのかと言うと、こちらの思い通りにならないからである。だから飽きない。葡萄の品種や、育った地方や畑によって違うのは当たり前だとしても、何年に誰がどういう方法で醸造したのかで、同じ地方の同じ葡萄を使ったワインの味がかなり違う。その店の保存の仕方でも差異が出る。まったく同じ味は、極端に言ったらひと瓶の中でしかありえない。だから、自分の好きな味を説明したり、店の側の説明を聞いて想像したりするのが、なかなかに難題だ。
 いままででいちばん傑作な説明だと思ったのは、富ヶ谷の『アヒルストア』のボトルに付いていたカードに書かれたものだった。「建築家で言えば安藤忠雄みたいな味」。説明を放棄しているのか、建築好きのワイン通には意味がわかるのか、ただ単に笑わせたかったのかは判然としない。実際にどんな味がするのかも、頼んだことがないのでわからないが、こういう一種の言葉遊びみたいになるところを、ぼくは面白いと思っている。ミネラル香を「火打ち石のニュアンス」とか言うのは、別に格好つけてやっているのではないはずだ。みんなワインの味を説明するのに必死なのである。
 ぼくが最近好きなのは「軽くて、すいすい飲めて、最後に柑橘の皮みたいな苦味が口の中に残る赤」だ。こういうふうに説明すると、それぞれの店のワイン担当はいろいろと考えてお奨めをグラスに注いでくれる。こんなふうな注文をし出してからそれほど時間は経っていないからなのか、いまのところ同じものが出てきたことはない。
 そうやって飲んでいると、自分が美味しいと思うものは、生産者も生産地も葡萄の種類もだんだん絞られてきて、これがいちばん好みに合っていると感じるものが実はあるのだが、それをそのまま指定してしまうと、自分の世界がえらく狭いものになりそうでつまらない。だから、曖昧な、人によって受け止め方が違う言い方を敢えてする。
 先日、鎌倉のある店で同じように頼んだ時に、何を出されたかは憶えていないのだが(というのが、そもそもぼくのダメなところであるが)、すごく気の利いた対応をしてもらえて楽しかった。彼は「同じ柑橘の皮のような苦さでも、これはいちばん外側の皮ではなくて、その下の白い皮みたいな、苦さに空気を含んだ柔らかさがあるようなタイプです」と秀逸な説明をしてくれたのだ。たしか彼は文旦に擬えたのだったと思う。ぼくは頭の中で同じ高知県の特産品である小夏を思い浮かべた。小夏はりんごの皮を剥くようにいちばん外側の皮を薄く剥き、白い皮はそのまま残して切り分けて食べることにより果肉の酸味が和らぐ。柑橘の皮をそこまで細かく考える彼に脱帽した。
 以上のやりとりを、何をキザなことをやってるんだと呆れる人とは、ぼくは仲良くなれないと思うし、一緒に酒を飲んでも楽しくないだろう。

(2018年1月29日)

岡本 仁

岡本 仁

オカモトヒトシ/編集者。1954年、北海道生まれ。マガジンハウスにて『ブルータス』『リラックス』『クウネル』などの雑誌編集に携わった後、2009年にランドスケーププロダクツへ。雑誌『暮しの手帖』や『& Premium』にてエッセイ連載中。

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